いつだって君はありのまま、飾ろうとしない。
そんな君が羨ましくて、大切だと、そう思える。












「ああーっ!!!」
高い声が部屋中に響いた。
その場にいた、声の主ではない寝癖だらけの男は、あからさまに顔を歪めて人指し指を両耳に突っ込んだ。
広くない彼の部屋で叫ぶには、彼女の声は大きすぎた。


「うるさい!君は迷惑というものを知らないのか。
そのうえ不法侵入常習犯で、勝手に冷蔵庫まで開けるとは、どんな教育を受けてきたんだ。」
声にまで、迷惑だ、という色をしっかり添えて彼は冷蔵庫に手をかけて震える彼女を睨めつけた。

「うるさいのは八雲君よ!!人の…人のケーキ、勝手に食べといてっっ!!」
彼の睨みの5倍ぐらいの殺気と怒りを込めて、彼女は彼を睨み返した。
予想以上の反撃と形相に、彼_____八雲は、思わず体をこわばらせてしまう。

「…ケーキぐらいで。」
「ケーキぐらい…?ケーキぐらいですって!!?
あのケーキはね、友達がわざわざくれたもので、普通に買ったら行列でレジに到着するまで2時間以上はかかる代物なんだからッッ!!!!」

ものすごい殺気で睨んでくる彼女______晴香の瞳は、怒りからか悲しみからかほとんど涙目である。
そこに浮かぶじわりとした涙をみつけて、八雲は一瞬ぎくりとした。


「…知るか。そんなもの。大体、食べられたくないなら僕の冷蔵庫に入れておくな。忘れているようだが、ここは僕の部屋だ。」
「何よっ!大学の、でしょっ!」
「今は僕の部室であり使用権限は部長である僕にある。そしてその冷蔵庫は 僕 の だ 。」
多少強引だが、まあそういうことである。

「でもちゃんと、食べないでね、って私言ったのにっ!」
「覚えがないな」
「八雲君分かったって言った!」
「記憶にない」
「素直に謝りなさいよね!!!」

それだけ叫ぶと、晴香は諦めたように深い深い溜め息をついて脱力した。

「楽しみにしてたのにな…ケーキ」
「…」
「年に一度くらいしか食べれないのにな…」
「…」
「あーあ。」
「…ケーキぐらいで。」

八雲がなかば挑むようにそう言うと、晴香はじろりと八雲を一瞥しただけで、もう一度溜め息をついた。
再び強い反撃が飛んでくるのだろうと身構えていた八雲には肩透かしだ。

「…そんなに食べたかったのか。」
「…」
こくり。と無言で頷く晴香。
俯いているのは、涙を堪えているからだろうか。
そう考えたら、妙に焦りがこみあげてきた。


「…っ」
晴香の鼻をすする音がした。
泣いている。
やばい、と、流石の八雲も自分の非をひしひしと感じ始めた。

「お、おい。泣くな。」
「……………。」
またひとつ、晴香がすん、と鼻をすする。
そして比例するように焦りが高まる。
おいおい。たかがケーキで。
君は一体何才だ。
なんて言ってやりたかったが、如何せん相手は泣いている。
彼女の涙は、どうも苦手だ。


「わ、悪かった。悪かったから泣くな。」
「…八雲君が謝ってくれてもケーキは帰ってこないもの」

こいつ。
今日はやけに卑屈だな。それほど食べたかったか、あのケーキを。
確かに、甘さ控え目で、濃厚で、でもさっぱりした、格別旨いケーキだった。
…気持はわからないことも…ない。


「分かったよ、詫びる。何か奢るよ。そのケーキでもいい。」
諦めて両手をひらつかせると、晴香がちらりとこちらを見た。
目がうるんでいる。その目にまたぎくりとした。

「…今日、いま、食べたいの」
「…」
なんてわがままだ。
「それにあのケーキ…すっごく高いんだよ。今の八雲君の財布の中身じゃきっと買えないよ。」
確かに今は…………あまり、いや、なかなか入っていない。

八雲が沈黙すると、それを見た晴香がまた溜め息をついた。
ああ、もう、調子が狂うな!!

「分かったよ、何でもしてやる!
ケーキだって今日以外で良いなら買ってきてやるから、その気持ち悪い顔をどうにかしろ!調子が狂って仕方ない。」
自棄的に言うと、晴香がじろりと睨めつけてきた。
言いたいことは、「気持ち悪い顔で悪かったわね」といったところか。

「はあ、…いいよ。買ってきてくれなくても。でも、ひとつお願いきいて?」
先ほどとは違った、ちょっとだけ楽しそうな瞳で、晴香がこちらを見た。
おや。買わなくてもいいとは、これはどうしたことか。

「なんだ、出来る限りならしてやる。」
「うん。…目、見せて?左ね。」



…。
「は?」
意味が分からない。
何で詫びに目を見せなくちゃいけないのか。
晴香はと言うと、もう泣き顔はどこへやら、にやりだかにこりだかよく分からない笑みを浮かべていた。
泣いた烏がもう笑ってる。


「…何で」
「お詫びなんでしょ!いいから見せて」
ね、なんて楽しそうに笑って、彼女は四つん這いでこちらに近付いて来た。

彼女がぴたりと止まった。僕と彼女の距離は、とても、近い。

「………近すぎだ」
「至近距離で見たいの。」
顔が、すぐ近くにある。それはもう、ちょっと近付いて顔を傾ければ、キ……………………………………
何を考えてる、僕は!!!!!!!!


心中で慌てたり焦ったり照れたり騒いだりしていたら、晴香が焦れたように、ねえ八雲君。なんて言ってきた。
おい。ちょっと。この距離でその台詞は良くないんじゃないか。

気付いて言ってるのか?…………いいや、絶対に気付いていやしない。
証拠に、表情に照れなど一切ない。あるのは、それこそおやつのケーキを待っている子供のような浮かれた顔だ。

………………意味が分からない。
だが、引く気はなさそうだ。


ふうと溜め息をついて、諦めて左のコンタクトを外した。
途端、黒かった瞳が、まるで火がついたように真っ赤に染まる。


燃えてる。
燃えて光ってる。
燃えてるのは命の炎で、光っているのは彼の魂だと、晴香は思った。



八雲はというと、居心地が悪いことこの上ない。
目の前の晴香は、みとれたように自分の瞳を真っ直ぐにみつめて沈黙している。
居づらくて、もそりとみじろぎをした。

でも嫌じゃない。
何故なら、彼女の自分の瞳を見つめる目は、奇異の眼差しでも、嫌悪でも同情でもない、好意の目だからだ。

まるで美しい絵画に見惚れたよう。
まるでひらひらと羽ばたく蝶に魅せられたよう。

そうして、数秒、いや数十秒見つめた後に、晴香は呟いた。



「何度見ても、…ほんとに、綺麗な瞳」
ほう、と溜め息をついて晴香が言った。
「やっぱり、私、好きだよ。」



………………………『好き』


好き、なのは目、だよな。
分かってる。分かってる…!
分かっているのに、胸の鼓動思考に反して激しく動いて言う事を聞かない。

「ち、違うわよ好きなのは目で…!!」
「わ、分かってるよ!!君は目的語を入れて会話できないのか!?」
顔が熱い。目の前に座る彼女の顔はきっと更に熱い。茹で蛸のように真っ赤だ。

分かってるならいいんだけど…だの何だの彼女がごにょごにょ言っているうちに、顔の熱さが引き、その代わりに何故か笑いがこみ上げてきた。


「ふ…」
「…!…??な、何笑ってる、の?」
「君は、ほんとに成長しないな。」
「?!何よ!!どこがよ!」
くすくすくす、と笑うと、彼女が口を尖らせた。
成長しない、変わらず子供だと言われたように感じたんだろう。

「違うよ」
「へ…?」
「子供だって言ったんじゃない。感性が、僕と出会ったそのままだって、言ったんだ。」

後藤さんのように、慣れて、平気なのとは違う。
こいつは最初から平気だったどころか、最初と変わらず、開口一番には「きれい」だ。


「だって、何度見てもきれいだもの。…ほんとうに、宝石みたい。」
「…は、君しかそんなおかしなこと言わないよ」

そんな事は言われ慣れていないから、とてもむず痒い。
だが…これを嬉しい、と言うのだろう。
そして、言ってくれるのはこいつだけで良いと、思う。

君はいつだって素で、僕を拾いあげてくれるんだ。


「…………さっきまでの涙はどこへ行ったんだか。」
皮肉を込めて言ってやると、彼女が一瞬目をぱちくりとさせてから、意味を理解してか口を再びとがらせた。


「いいの!八雲君の目が見れたし、しょうがないから許してあげる!」
そして、憂いも忌みもきれいさっぱりどこかへ消した顔で、にっこりと笑った。
そう、無邪気なまでの綺麗さで。



「…変なやつ。」
ほんとうに。


ああ、君には一生敵わないのだろうな、そう思ったら、喜びによく似た諦めで笑ってしまった。














あとがきっ。
・・・・・晴香の泣きは嘘泣きか本泣きか。
とりあえずおたおたする八雲が書けて満足であります。(敬礼)