傍らで眠る、暖かな存在



















静かだ。
音といえば、外から聞こえる微かな笑い声や、車が通る騒音。それすらも、今は遠のいて殆ど耳に入らない。

静かだ。
何故ここまで静かなのかと言うと。
いつもの騒音の元こそが、眠りの世界に浸りこんでいて目を覚ます気配すら一向にないからである。


つまらない。実に、つまらない。
からからから、と乾いた音を出しながら椅子ごと身体を回す。
ぴた、と止めても、人間のように目が回ったりすることなどない。
それすらもつまらなくて、寝こけて自分を「退屈」にさせた張本人をじろりと睨む。

その張本人は、我が物顔でソファを牛耳っていた。



(・・・・・・・・奴隷の分際で。)
良い度胸だ。などと彼は思って、更につまらなくなる。
することがない。いつもなら、そこで寝ている奴隷を構い倒して退屈しのぎをするのだが、今はそれすらも出来ない。



(・・・・・・・・・・・・・・つまらない)
本当なら、そこで寝ている豆腐を叩き起こして暇潰しをすればいいのだが。
何故だかそんな気も起きない。
穏やかで、平和そうな寝顔をしているのだろうと思うと、そんな毒気さえあっさりと抜かれてしまう・・・気がした。


そんなことを考えて、ふと、その穏やかで平和そうな寝顔を見たいと思った。
その気が起きれば其れを叩き起こして、暇つぶしに使ってやろうか、などと考えたのかも知れない。
自分でも、何故そんなことを思ったのかよく判らないのだが。

(___________謎だ)
但し悪意がないため、彼にはどうでもいい類の謎だ。
そうだ。どうでもいい。
それでも、自分はそんな事を思いながら椅子から身体を起こしていた。



数歩歩けば、寝ている「奴隷」に辿り着く。
大分屈んでその寝顔を覗けば、思ったとおりの、「穏やかで、平和そうな」表情をしていた。
だが一つ予想外だったことは、其れがほのかに笑みを浮かべていたことだった。
(・・・・・・・・何故、そんな顔で、眠る)

自分はこの人間の娘に、厭われても良いほどの扱いをしていた筈だ。それを悪いとは微塵も思っていないが。
それなのに何故、この娘は、こうも安心し切った顔をして自分のすぐ傍で眠る。
まるで、ここが自分の居場所だ、とでも言うかのように。
(・・・・・何故、そんな顔で眠るのだ。豆腐が)



自分を、恐ろしいとは思わないのか。異形だと。化け物だと。
それは大体に真実であるから、自分はそれを否定はしない。それについて引け目は無いが、寧ろ自覚している。
それなのにこの人間は。人間のくせに、自分を畏怖すらせずに、ただ当たり前のように傍にいて。当たり前のように笑っている。

(豆腐が)
脳みそが詰まっていないから、学習というものをしないのだろうか。
・・・・・それもあるかもしれないが。



(それも、「進化」のうちか。弥子)
我輩を段々と、受け止めていくようになったこの娘の。
望んだ進化の形が、これなのだろうか。
恐怖するのが当たり前であろう、自分の「隣」。
それをこの娘は、拒絶したりはせず、その「隣」で安心し切るほど、自分の中で消化している。



(ハ。馬鹿らしい。)
自嘲気味の笑みを浮かべて、弥子の身体が投げ出されていない部分のソファに腰掛ける。
スプリングが音を立てたが、弥子は起きはしなかった。
食欲も旺盛であれば、睡眠欲も旺盛であるらしい。




何を思ったのか、気がつけば自分の手は、弥子の色素の薄い柔らかな髪に触れていた。
その手を気付いた瞬間に引っ込めなかったのは、思いのほか、その感触が酷く自分の手に馴染んだからであろうか。

さらり、と音を立てて、言い知れぬ感情が奥の奥から込み上げる。
嫌な感触。名前も知らないこの感情を始めて味わった感想はそれだけだ。
悪意を餌にする自分にとって、こんな暖かくて優しい感情は、未体験で不必要。
その感情を押しのけるようにして、手を引っ込め腰を上げた。




(まだ、人間の感情は、知らなくて良い。)
手をじっと見つめながら、この感情は何という名前だろうと魔人は考えた。





傍らで眠る暖かな存在の目が覚めたときにでも、聞いてみようかなどと思いながら。


















魔人さま、自覚ナシ。
後日、本当に弥子にそれを質問。そのお話も書いてみたいですねー。